少しづつですが、横須賀あるいは三浦半島の旧日本軍の遺構を訪ねていきます。
今回は三浦市にある特攻艇「震洋」が格納されていたという場所へいってきました。

今回は三浦市にある特攻艇「震洋」が格納されていたという場所へいってきました。

特攻艇「震洋」とは?
震洋(しんよう)は、太平洋戦争で日本海軍が開発・使用した特攻兵器。特攻艇。1944年10月下旬レイテ沖海戦に投入された神風特別攻撃隊より半年以上前に本特攻兵器の開発は始まっていた。小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に炸薬を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦して目標艦艇に体当たり攻撃を敢行する。「震洋」の名称は、特攻部長大森仙太郎少将が明治維新の船名を取って命名したもの[1]。秘匿名称は「○四(○の中に四)金物」(マルヨンかなもの)、○四兵器。マルレと合わせて○ハとも呼ばれた。震洋と共に運用された陸軍の攻撃艇マルレについては四式肉薄攻撃艇を参照。2人乗りのタイプには機銃1~2丁が搭載され、指揮官艇として使用された。戦争末期は敵艦船の銃座増加に伴い、これを破壊し到達するために2発のロケット弾が搭載された。Wikipediaより引用
大戦末期に使用された特攻「兵器」です。
この「震洋」はあくまでも「艦艇」とししてではなく、「兵器」として認可されています。
海軍省は兵器扱いの形で部隊へ供給していたというのが、特攻を目的にしていますね。
あまりに非人道兵器ですが、実際に使用されているのが哀しいです。
そんな「震洋」ですが、三浦半島にも少数配備されていたようです。
場所は、三浦市にある大浦海岸の近くです。

大浦海岸は、三浦半島の南東部に位置しています。
とてもこじんまりとした海水浴場で道は狭いですが、なんとか自動車でも行くことが出来ます。
周りには民宿などが立ち並んでいました。



昨日は春一番が吹いたので、天気晴朗なれど波高し。
周りには人影が全くなく静かでした。
こういった雰囲気は本当に大好きです。
いつまでもここで海を見ていたい気分でした。
さて、さっそく格納壕跡へ行ってみましょう。

格納壕跡がある場所は、砂浜の奥にある岩場です。
途中、足元が悪い場所があるので注意しながら進んでいきます。
また、潮の満引きでは通行できなくなりそうなので気を付けましょう。
今日は波が高かったので、ちょっと怖かった…。

なんとか到着。
みるからに人工的に造られた雰囲気の穴が空いていました。

穴の正面に立ってみました。
かなり奥深く彫られています。


入口付近は広く、私が少しかがんで入ることが出来ました。
入口付近は、天井部が崩壊しており、空が見えます。


入口付近が盛り上がっていたのは、天井部が崩壊したんでしょうねぇ。


さらに奥にはかなり小さめな空洞があります。
綺麗に四角に掘られていますね。
中をのぞいてみると…

内部は水没しており、漂流しているゴミが溜まっていました。
天井は低く、私もかなり身をかがめて入らないといけません。
この場所に「震洋」が格納されていたみたいですね。
三浦半島には油壷に本部が置かれ、第11突撃隊に所属する第27震洋隊が突撃命令を待っていましたが、実際に命令が下されることなく終戦したそうです。
首都防衛戦まで、戦争が継続されていたらここに格納されていた震洋も使用されていたのかもしれませんね。


この格納壕も長い年月が経ち、崩壊が進んでいます。
いつまで残っているかわかりませんが、決して忘れてはいけない歴史ですね。

近くには、同じような格納壕と思われる場所などがありましたが、埋まっているか崩壊しているかでほとんど形を残していませんでした。(漁業の道具が…。)

まだ、奥へ行けそうでしたが、今日は波が高く足場を確保できないため断念。


格納壕跡から戻ってみると、砂浜上空にホバリングしているヘリを発見。
何かを調査してるんでしょうか?
しばらくすると去っていきました。

三浦半島にはまだまだ遺構が残されています。
暖かくなってきたので、少しずつ訪れてみようと思います。
この「震洋」はあくまでも「艦艇」とししてではなく、「兵器」として認可されています。
海軍省は兵器扱いの形で部隊へ供給していたというのが、特攻を目的にしていますね。
あまりに非人道兵器ですが、実際に使用されているのが哀しいです。
そんな「震洋」ですが、三浦半島にも少数配備されていたようです。
場所は、三浦市にある大浦海岸の近くです。

大浦海岸は、三浦半島の南東部に位置しています。
とてもこじんまりとした海水浴場で道は狭いですが、なんとか自動車でも行くことが出来ます。
周りには民宿などが立ち並んでいました。



昨日は春一番が吹いたので、天気晴朗なれど波高し。
周りには人影が全くなく静かでした。
こういった雰囲気は本当に大好きです。
いつまでもここで海を見ていたい気分でした。
さて、さっそく格納壕跡へ行ってみましょう。

格納壕跡がある場所は、砂浜の奥にある岩場です。
途中、足元が悪い場所があるので注意しながら進んでいきます。
また、潮の満引きでは通行できなくなりそうなので気を付けましょう。
今日は波が高かったので、ちょっと怖かった…。

なんとか到着。
みるからに人工的に造られた雰囲気の穴が空いていました。

穴の正面に立ってみました。
かなり奥深く彫られています。


入口付近は広く、私が少しかがんで入ることが出来ました。
入口付近は、天井部が崩壊しており、空が見えます。


入口付近が盛り上がっていたのは、天井部が崩壊したんでしょうねぇ。


さらに奥にはかなり小さめな空洞があります。
綺麗に四角に掘られていますね。
中をのぞいてみると…

内部は水没しており、漂流しているゴミが溜まっていました。
天井は低く、私もかなり身をかがめて入らないといけません。
この場所に「震洋」が格納されていたみたいですね。
三浦半島には油壷に本部が置かれ、第11突撃隊に所属する第27震洋隊が突撃命令を待っていましたが、実際に命令が下されることなく終戦したそうです。
首都防衛戦まで、戦争が継続されていたらここに格納されていた震洋も使用されていたのかもしれませんね。


この格納壕も長い年月が経ち、崩壊が進んでいます。
いつまで残っているかわかりませんが、決して忘れてはいけない歴史ですね。

近くには、同じような格納壕と思われる場所などがありましたが、埋まっているか崩壊しているかでほとんど形を残していませんでした。(漁業の道具が…。)

まだ、奥へ行けそうでしたが、今日は波が高く足場を確保できないため断念。


格納壕跡から戻ってみると、砂浜上空にホバリングしているヘリを発見。
何かを調査してるんでしょうか?
しばらくすると去っていきました。

三浦半島にはまだまだ遺構が残されています。
暖かくなってきたので、少しずつ訪れてみようと思います。
