Twitterをなんとなく見ていると横須賀のマスコットであるスカレー君のツイートに「国史跡東京湾要塞跡 千代ヶ崎砲台跡発掘調査現場見学会」なるものを発見。
とても気になるし、どうやら期間限定らしいので行ってみることにしました。
DSC05008
「国史跡東京湾要塞跡 千代ヶ崎砲台跡発掘調査現場見学会」の詳細
横須賀市公式ホームページ参照(外部リンク)

2018年2月17,18日の2日間開催されているようです。
私が気づいたのが、17日だったのでラッキー。
さっそく見学会へいってみることに。
場所は、海上自衛隊の千代ヶ崎送信所跡地です。
houdai1
浦賀駅からバスで行かないと結構遠いですねぇ。
以前、浦賀燈明堂にドライブに行ったときに通ったところだったので、すぐに見つけることが出来ました。誰も見学に来ていないと思っていましたが、意外と来てることにびっくり。
さっそく、入りましょう。
IMG_9819
石垣に囲まれた道が入口です。
IMG_9730
道を進んでいくと、受付があったのでパンフレットをもらいました。
どうやら、基本的に見学自由なんですが、指定時間帯に専門家による説明会が開かれているようでした。せっかくなので、説明を聞いてみることに。

千代ヶ崎砲台跡とは?
千代ヶ崎砲台は、明治25年(1892年)に起工、日清戦争中の明治28年(1895年)に竣工した東京湾要塞に属する沿岸砲台で、28センチ榴弾砲3砲座6門が備砲された榴弾砲砲台と15センチ臼砲4門、機関砲4門などが備砲された近接防御砲台から構成されている。

千代ヶ崎砲台跡にみられる煉瓦組積法は、すべてオランダ積で、確認されている煉瓦製造元は小菅集治監に限られている。各施設に使われている煉瓦は、普通煉瓦と焼過煉瓦が用途によって明確に使い分けられ、露天空間に設けられた施設の前面壁、あるいは露天空間と接する隧道の出入口には雨水に対する防水と帯水防止のため焼過煉瓦が採用されている。

また、塁道の屈曲している部分には、斜架拱(しゃかきょう)といった高度な煉瓦組積法が採用されている。このような煉瓦の使い分けや煉瓦組積法は、明治10年代に建設された猿島砲台跡では認められない。その他、明治10~20年代前半に建設された砲台の天井は煉瓦造であったが、遅れて明治20年代中ごろに起工した千代ヶ崎砲台跡ではコンクリート造に変化している。このように、近代建築・土木技術の発展過程が看取できる。
猿島にも砲台跡がありますが、こちらの砲台は明治28年に竣工した旧日本陸軍の砲台だそうです。猿島のよりちょっと新しいですね。
この千代ヶ崎砲台跡には、そもそも江戸時代の平根山台場跡があった場所だそうです。
レンガの積み方などが特徴的ですが、貯水・排水システムが充実していた施設だとか。
塁道の南北には雨水を集水、濾過して生活用水を確保するための貯水所があったそうです。また、これとは別に油を使う榴弾砲砲座や砲側弾薬庫の雨水・汚水は流路が湧けられて設計しており、貯水所の余剰水と合流して砲台の外に排水される仕組みに設計されています。
千代ヶ崎砲台よりも以前に建造された砲台には、その技術は確認されておらず建築技術の進歩が認められる貴重な歴史的資料なんだとか。
ちなみに「要塞」の定義とは明治28年公布の要塞司令部条例第一条「永久ノ防御工事ヲ以テ守備スル地ヲ要塞ト称シ」と記されているそうです。
この要塞を構成する防御営造物には「砲台」「堡塁」「弾薬庫」「探照灯」などがあります。また、首都である東京を護ると同時に、横須賀の長浦両軍港を守るためにこの「要塞」を建造していきました。
つまり、この千代ヶ崎砲台は東京湾要塞の一部ということですね。
一通りの説明を聞いた後は、実際に砲台跡の見学です。
FullSizeRender
砲台跡はこのような配置になっています。
砲台入口から入って、手前から左翼観測所、第三砲座、第二砲座、第一砲座があります。
右翼観測所と陸生砲台は、私有地にあるそうなので今回は見学することが出来ませんでした。
IMG_9734
上記の写真は、左翼観測所から第三砲座の方向を写したものです。
周りに桜並木がありますが、砲座があった当時にはなく、見晴らしが良い場所だったそうです。
IMG_9754
ご覧の通り、桜が植えられており景色が見えません。
ここは以前は海上自衛隊の通信所として使用されており、第三砲座は埋められていたんだとか。
自衛隊が敷地を手放すことになった際に、掘り起こしたんだそうです。なにより自衛隊が管理していただけあって非常にきれいな状態で残っています(第二次世界大戦終結後は数年?は民間管理していた時もありったそうですが…)。
IMG_9732
上記画像が「左翼観測所」跡です。
上部構造はなくなってしまっていますが、右翼観測所(現:私有地)は保存状態がよく残っており、右翼観測所の形をもとに掘り起こしたそうです。
IMG_9733
上部に観測所があり、地下へと続く階段があります。
現在はコンクリートで埋められていますが、砲台に続いていたそうです。
IMG_9761
階段を下りて右手に見えるコンクリート部分ですね。
自衛隊がコンクリで埋めたそうで、非常に綺麗に埋まっていると説明員の方は仰っていました。
この両翼観測所は、敵へ砲を発射する際にどのような角度、位置で撃つかを砲台へ伝達する役目があります。
では、その数値をどうやって伝えていたのか?
伝声管といわれる管で伝達をしていたんだとか。
こちらが伝声管跡です。
IMG_9760
この伝声管を使用して、各砲台へ伝達して砲撃を行う仕組みです。
そして、観測所の面影らしきものたちも展示されていました。
IMG_9731
DSC04975
DSC04976

次に、第三砲台です。
IMG_9735
両脇に地上への階段があります。
また地下にも他の砲台へとつながっている道があります。
DSC04963
現在、このように一部の道はコンクリートで埋まっています。
真ん中には巨大な円が2つありますが、この上に砲台が設置されていたんだそうです。
DSC04995
円の中には綺麗な八角形を描いて岩が置かれています。
そして所々にある人工的な穴は、砲台を固定するために使用されていたそうです。
この砲台に一体どんな砲が配置されていたのか?
それがこちらになります。
DSC05053
旧日本陸軍 二十八糎榴弾砲(写真:見学会資料室に展示されていた模型)
砲の土台部が円形になっており、その部分が先ほどの岩の上に乗っていたんですね。
ちなみにしたの円形部は回転するそうです。
ちなみにもう一つの円は土で埋まっていますが、どうやら自衛隊が埋めたものではなく一時民間管理となった際に、養豚場?として使用されていたのかもしれないと言っていました。(諸説あり)
第二砲台も同じようになっています。
IMG_9736
こちらが第一砲台。
IMG_9737
DSC04965
一砲台に二門の砲があったんですねぇ。
あと、第一砲台の地下道はちゃんとありました。
後ほど、地下も見学できるそうです。
おー楽しみ。
第一砲台跡の近くには桜並木がないため、非常に見晴らしがよくなっていました。
DSC04968
DSC04972
跡地隣の農園(私有地)にもチラホラと史跡がありました。
そちらの方は、私有地を管理されている方がたまに公開してるとかなんとか。
IMG_9743
私有地の方にも面白そうなところがありますねぇ。
さて、説明が一通り終わったので、次は地下道の見学です。
地下道へ向かう途中には、採掘時に発見された瓦礫がたくさん。
IMG_9750
IMG_9752
レンガひとつひとつもしっかりと調べているそうです。
大変な作業…。
IMG_9817
さて、地下道の見学はガイドに連れられてのツアー形式です。
懐中電灯を渡されてスタートです。
DSC05008
地下道は露天空間もありますが、非常に広いですね。
両脇には弾薬庫や営倉などがあったそうです。
IMG_9812
IMG_9811
IMG_9773IMG_9780
IMG_9770
IMG_9781
地下の構造物内部には、ときおりレンガに穴があけられています。
この部分に棚などを設置していたんではないかと説明していました。
IMG_9779
地下の部屋の奥の天井にはスリット部がありました。
こちらは換気口だったそうです。
そして、砲台へつながる道や地上への階段も。
IMG_9784
IMG_9771

IMG_9766
両壁のレンガですが、明らかに色が違う部分があります。
ダーク系レンガと赤レンガ、これがこの砲台の特徴でもあるそうです。
ダーク系レンガは高温焼成により揮発性を高めた「焼過煉瓦(やきすぎれんが)」といって、雨水があたる露天空間に面した施設出入口周辺に使用されていたそうです。
IMG_9775
IMG_9769
また、上記写真のように出入口のアーチには、「斜架拱(しゃかきょう)」というレンガをねじったような特殊なレンガ積みを見ることが出来ます。
猿島の砲台跡では見ることのできない建築資材や技術の改良と発展を見ることが出来ます。
さらに、冒頭で述べた水道施設もあります。
IMG_9775
IMG_9814
上記画像が「ろ過装置」「排水装置」なんだとか。
雨水が水路を伝って、この両装置に流れ着き、その後貯水所に移動します。
IMG_9777
貯水所にたまった水は、様々な用途で使用されるというわけです。
今でも覗いてみると、雨水が溜まっていました。(しかも綺麗!)
こうして砲台単独で、水を確保できるという画期的システムです。
さて次は、砲台へ続く道です。
IMG_9784
懐中電灯を持たされた意味が分かりました。
真っ暗です。
この細い通路を進んでいくと…。
IMG_9789
隙間がありました。
弾薬庫と倉庫?の間に挟まれた狭い通路で両方へ通じている小窓がありました。
そして、その隣には弾薬庫の入り靴があります。
IMG_9788
IMG_9790
周りが真っ暗ですが、奥の方の天井がぽっかりと穴が開いていました。
IMG_9794
IMG_9796
IMG_9795
この穴は砲弾を砲台へ運ぶための穴だそうです。
砲弾を容れ物に入れて、ロープを引っ張って上まで運んでいたとか。
1つ数十キロとある砲弾をよくこんな方法で運びましたねぇ…。
ちなみに先ほどの謎の隙間は、弾薬庫からみるとこんな感じ。
IMG_9791
IMG_9792
窓が一直線にあるので、外が見えます。
さて、次は階段を登っていきます。
IMG_9785
足元が暗いので、ちょっと怖い。
階段を上り終えると、左手にはコンクリートの壁が。
IMG_9800
これが先ほどの説明にあった自衛隊によってふさがれた壁ですね。
第二砲台へつながっていたそうです。
さて、つながっている第一砲台へ向かいましょう。
その途中に、先ほどの弾薬庫からつながっている穴を発見。
IMG_9801
引っ張り上げた砲弾をここで下して、砲台まで運ぶんだとか。
まさか手で持って運ぶの?と思いましたが、どうやら運ぶ装置があったみたいです。
IMG_9803
IMG_9804
両壁には所々穴があいており、ベルトコンベア?のような装置で運んでいたんでしょうね。
自動装填装置が無い時代ですから、それでも大変だったんだろうなぁ。
IMG_9809
そして、第一砲台へ到着です。
改めて近くでみると大きいですねぇ。
この円形の上に砲台があったと思うと、とんでもないものを作ってたんですね。
砲台の周りには窪んだ壁があります。
ここには、砲弾を格納していたそうです。
DSC05032
そんな壁に怪しい穴がありました。
DSC05033
この穴も「伝声管」で各部に繋がっているそうです。
確かに第二砲台にもつながっていました。
こんなんで、聞き漏らしとかなかったんですかねぇ?
DSC05035
地上への階段も健在。
IMG_9737
上から見たときに疑問だったのが、階段が途中で途切れていること。
ここから飛び降りるにしても結構高いので、不思議でした。
どうやら、階段の下には梯子が設置されていたそうです。
その跡も確認されたとか。
DSC05037
それにしてもこのアーチ状レンガが美しいですねぇ。
よくこんな大建造物を作ったものです。
そんなこんなで、一周して地下ツアー終了。
帰りがけ、資料展示室があったので寄っていくことに。
資料室には調査で見つかった貴重な資料が展示されていました。
DSC05044
DSC05046
DSC05051
レンガには士族煉瓦と囚人煉瓦というのがあるそうです。
この千代ヶ崎砲台には囚人煉瓦が使用されており、この桜のマークは現東京都葛飾区の小菅にあった東京集治監(当時の刑務所)のもので、収監された囚人たちが作ったそうです。
この千代ヶ崎砲台跡は現在、ほぼ採掘調査は終了したそうです。
この場所は国の史跡指定を受けていますが、猿島砲台とセットでの史跡指定なんだとか。
完全復元も考えていたそうですが、復元には膨大な資金が必要なため難しいそうです。
現状の維持をしつつ、一般公開できるように鋭意作業中だそうです。
観測所跡などは雨風にさらされないように、しばらくは埋め直しするそうなので、しばらくこの史跡はお目にかかる機会はないそうなので、今日来れてラッキーでした。
これだけ綺麗に残っている史跡というのは、大変貴重だと思います。
ぜひ、ここを一般公開できるようにしてもらいたいですねぇ。
というか、横須賀にはこんなにも魅力的なものがあるんですね。
横須賀に住んでいる身としては、もうちょっと横須賀市が本気になってこういった歴史的価値のあるものを全面的に推し出して、真の観光地「ヨコスカ」を目指してほしいなぁと思った見学会でした。