平成29年11月18日に海上自衛隊第2術科学校オープンスクールが開催されます。
2術校の見学も楽しみですが、ついでに周辺の旧海軍スポットや観光スポットを探しに行ってきました。
DSC03621

今回、散策してみよう思った場所は、「田浦観音堂」と「旧海軍水道みち」、「轢死者溺死者追弔塔」です。
地図でみてみると以下の通りです。
map
「旧海軍水道みち」は「田浦観音堂」と「轢死者溺死者追弔塔」の間の道です。
とりあえず、行ってみましょう。
まず向かった場所は、「田浦観音堂」です。
観音堂に向かう途中、海上自衛隊第2術科学校の近くを歩いていると、旧関東自動車本社がありました。
2017-11-12-14-06-12
現在、取り壊し中みたいですね。
ここは、元々旧海軍の土地だったらしいとか。
今は、防衛省が所有しているそうです。
新しい庁舎でも建てるのかな?
船越基地の方も新しい庁舎を建設中なので、防衛省はお金持ちですねぇ。
と、自衛隊の建物を眺めつつ16号線沿いを歩き、田浦町5丁目へ向かいます。
ちょうどネッツトヨタがあるあたりを右に進みます。
2017-11-12-14-30-06
盛福寺横を通り過ぎて、田浦山隧道をくぐります。
DSC03604
くぐった先に、上記の画像の場所に出ます。
「田浦観音堂」へ行くには、画像中央の階段を登って行きます。
ちなみに、左横に門の先は廃墟マニアには有名な廃墟街があるそうです。
ネットで検索すると、探索している方が結構いらっしゃいますが、現在門は閉ざされています。
話が逸れました。
それでは階段を登って行きます。
2017-11-12-14-26-52
階段を登っていく途中、謎の建物を発見。
新しいような古いような…よくわからない建物です。
何でしょうかね?
さらに階段が続きます。
この階段がけっこう急で息が絶え絶え…。
つらい。
image
登りきると、こんな感じです。
写真では急こう配の感じが伝わりませんが、なかなかのもんです。
階段を登りきると、ポツンと建物が見えます。
2017-11-12-14-23-09
こちらが「田浦観音堂」です。
田浦観音堂とは?
横須賀市ホームページ「田浦観音堂」(外部リンク)
昔、このあたりには、守り神として馬頭観音が祀られていたが、戦前、軍がトンネルを作るとき埋めてしまったそうだ。戦後になって田浦在住の婦人がある夜、観音様が夢まくらに立ち、埋められたところがわかった。その人が成田山の住職に相談し、田浦観音と名づけた像を彫ってもらった。昭和36年にお堂が完成し、稚児行列をくりだして観音様を奉納した。古老によると、昔は下の現在駐車場になっているところ(当時は広場)に舞台が造られ、いろいろな催し物が行われ、出店もたくさん出て、大変なにぎわいであったという。
お堂内の観音様は木像で、奉賛会の人たちが維持している。
引用終わり
ここら辺にも、こんな言伝えがあったんですねぇ。
全然知りませんでした。
とりあえず、観音様に手を合わせます。
DSC03586
DSC03590
木彫りの観音様で、良い表情をしておられます。
最近はお地蔵様やらこういったのを見るのにハマっている私。
どんどん趣味が高齢化していってますね。
DSC03596DSC03593
お堂の周りは、木々が生い茂り閑散としています。
とても静かで居心地の良い場所でした。
「田浦観音堂」を見終えたんで、階段を下ります。
この階段の左側にあったトンネルが気になったので、ちょっと行ってみることに。
DSC03599
「盛福寺管路ずい道」と書かれています。
横須賀市のホームページをみてみると、
盛福寺管路(田浦~沼間)トンネルは田浦山トンネルの逗子(沼間)寄りのところにある。掘さくは大正の初期で、中津川から横須賀軍港へ水を引く海軍専用の水道トンネルとして掘られ、素ぼりのせまいものだった。住民が通行できるようにと海軍に要請し、大正11年許可され、昭和3年まで通行できた。当時、葉山・逗子方面から海軍軍需部や海軍工廠造兵部への通勤者には近道で便利だったという。
戦後、大蔵省の管かつになり、その後、横須賀市に移管され、今は中には入れないが、手前まで行ける。
-引用終わり-
海軍専用の水道トンネルなんですね。
そして、海軍工廠への通勤路でもあったそうです。
こんなところにも海軍の遺構というものがあったんですね。
本当に横須賀はトンネルが多いなぁ。
さて、次の目的地「旧海軍水道みち」へ向かいます。
といっても来た道を戻ります。
盛福寺まで戻り、ちょっと寄り道。
盛福寺を見学です。
2017-11-12-14-38-01
盛福寺の隣には、田浦幼稚園があります。
お寺と幼稚園って組合せは結構多いですよね。
2017-11-12-14-34-36
2017-11-12-14-36-09
この盛福寺の門は文化財らしいです。
こんなところにも貴重なものがあるんですねぇ。
このお寺には、お地蔵様がたくさんいらっしゃるそうなので、撮影。
DSC03610
DSC03608
みなさん、素敵な顔をしてらっしゃいます。
徳がありますねぇ、ありがたい、ありがたい。
盛福寺を見学し終え、さらに来た道を戻ります。
ここら辺は、閑静な住宅街です。
ただ、昔ながらな木造の家が結構あったりと、歴史を感じる場所ですね。
サクサク歩いていると、ふと気になるものを発見。
DSC03615
石柱に「海」と書かれています。
こちらも横須賀市のホームページに詳細が書かれていました。
盛福寺の前は、水道路である。明治に軍艦の製造が盛んになると、走水からの水道だけでは不足し、相模川の支流の中津川からも補給することになり、逸見浄水場が造られた。そして水源地の愛川町半原から逗子市沼間を経て、田浦、長浦、逸見までの水道管を明治45年から10年間かけて敷設した。現在、海軍水道の敷地の境界を示す「海」を刻む石柱が、田浦町4丁目の京急ガード下の道路沿いに数ヶ所、残されている。

だから「旧海軍水道みち」と言われているんですね。
生活道路に何気なくあるので、少々驚きました。
DSC03617
結構頻繁に見かけるんですが、このように埋まっているものもあります。
こうしてみると、ここら辺の道もどんどん整備されていって今の形になったんですねぇ。
そして、次の目的地「轢死者溺死者追弔塔」に到着。
DSC03618
横須賀線の踏切すぐ横にありました。
ひっそりと佇んでおります。
この追弔塔は、関東大震災で列車が事故を起こした際にでた犠牲者のために建造されたそうです。
ただ溺死者というのが謎ですねぇ。
津波があったという記録はないらしく、対象者というが不明だとか。
こんなところにも不思議なものがあるとは驚きです。
電車がきたので、ついでに撮影してみました。
DSC03613
DSC03612
この場所は、京急線と横須賀線が交差する場所なんですね。
この後、京急線が猛スピードで駆け抜けていきました。

今回の目的地を回り終えたので、帰宅。
この田浦地区、まだまだ探せば海軍の遺構がたくさんありそうです。
オープンスクールまでに、他も紹介できるようにちょくちょく探してみることにしましょう。